2現場の仕事を変える、 真のカイゼンを追い求めて

「そんなことがあったんですね」

話を聞き終わった諸岡は、再び、深く頷いた。

「上には “現場でどうにかするのがお前の仕事だ”
と言われてしまいます。マニュアルをちゃんと作ったり、現場に出て声がけして回ったり、そういう基本を徹底しろ、と。でも、本当にそれだけで改善につながるかどうかは……」

野口はこれまでの苦渋のすべてを、シワというシワに詰め込んだような表情でため息をついた。
諸岡は真剣な顔つきになると、用意していた営業資料を脇にどかし、前のめりの姿勢になって話し始めた。

「野口さん、今日僕は営業に来ました。でも、一旦それは忘れてお話ししようと思います。まだ曖昧な夢のような話ですがいいですか?」

野口は頷いた。

「僕は、現場の管理者、つまり野口さんたちがやっている仕事の、極端に言えば7割は無意味だと思っています」
「7割ですか」

野口は目を見開いた。

「…随分と大きな割合ですね」
「はい。無礼を承知で言いますが、チェックや作業の指示、新入社員の教育、報告書の作成…こうしたものは、オペレーションを回す上でなくてはならないものです。しかし、一方では『出来て当たり前』で、頑張っても褒められないですよね?」

かなり率直な物言いだ。脳では反論しようと、様々な言葉が湧き上がってくる。しかし、不思議と怒りは湧いてこなかった。むしろ、続きを聞きたいという気持ちになっていた。

「すべてを肯定は出来ませんが、そういう側面があるのは確かだと思います」
「でも、もしそれらの無意味な仕事をすべて自動で行えるようになったら?」

諸岡は目を輝かせて言った。

「その時こそ、僕は現場で働く人たちが持っている創造力を100%解放し、現場の仕事をより楽しく、クリエイティブなものに変えられると思うんです。人は創造力を発揮して働くとき、一番の喜びを得られると信じています」

野口はポカンとした。諸岡の言っていることが理解できなかった。……一体何を言っているんだろう、この人は?
諸岡はコホンと咳払いをすると、続けた。

「現場と創造性、かなり遠い組み合わせだと思われたかもしれないのですが、そんなことはないんです。実際、僕が話を聞いた現場の方々は誰もが、“こうなったらもっと良い現場になる”というアイデアをたくさん持たれています。ですが、なかなかアイデアを実行に移せない。なぜだか分かりますか?」

少し考えながら野口が答える。

「…時間がないから…ですか?」
「まさに!おっしゃる通りです。現場は“出来て当たり前”の単純作業や憂鬱な仕事に忙殺されています。そもそも、何かを閃いても、実行する時間もないんです。でも、それだけではありません。もう一つ、重要な問題があります」

一瞬の間を置いて、諸岡が口を開いた。

「それは“道具”がないことです。自らのアイデアを実行に移すための最適な道具。これが今の現場では『紙』と『口頭』のみです。シフト勤務をしている従業員全員に野口さんの考えを伝えようと思うと、朝礼で5日間連続で話さないと伝わりませんよね?作業の方法を変えようと思えば、マニュアルをラミネートして配布しないといけない。その結果、現場の効率性や不良品の数がどうなったのかは、紙の情報を集計してやっと分かる。これでは皆、時間があったってしんどくてやりたくないですよね?」
「確かに、私たちも事務作業をする際に、年々いろいろなソフトが導入されて便利になっていますけど、もしも“エクセルは使ってはいけない”と言われたら…仕事になりませんね」
「僕自身、今はIT業界で働いていますが、何か成果を生み出そうとするときは、“どのツールを使おうかな?”とセットで考えます。道具がないと、そもそも何も出来ないと分かっているからです」
「なるほど。時間と道具が必要ということですか。よく理解できました。でも、どうやるんですか?」
「まずは単純作業を一切なくします。単調なチェック作業やマニュアル作成、配布、シフト調整や何度も同じことを繰り返し伝える新人教育など…一切やらなくてよくなる世界を作ります。あえて率直に言わせていただきます。そういった単純作業は、現場の皆さんから人生の楽しみを奪っています。そうした現状を変えるために、僕たちは今、現場のデジタル化ツールを作っているんです」
「一切、やらなくていい……」
「はい!一切です。野口さんや同僚の皆さんは、一人一台のパーソナルアシスタントを持ち、例えば、『この報告書まとめておいて』『生産計画に合わせてシフト組んでパートさんに送っておいて』と指示すれば彼らが勝手に進めてくれるというイメージです」
「そんな、夢みたいなことが……」
「はい、まさに。そういう時代が今に来ます。カミナシが目指しているのは、単なる帳票電子化サービスではありません。電子化ではなく、“自動化”です。それによって、ノンデスクワーカーが持つ、これまで見えてこなかった発想力やクリエイティビティを100%活かせるようにすることが、カミナシの目指す世界なんです」

だから、Webサイトやインタビューでは
“ノンデスクワーカーの才能を解き放つ”
と書いていたのか、と野口は合点がいった。

――

起業以来『ノンデスクワーカーの才能を解き放つ』というミッションに基づき、顧客の成功のために走り回ってきた。日本に3,900万人いる、現場従事者たち。これほどIT化の進んだ時代においてさえ、彼らはまだまだ非効率的な作業に囚われていることが多かった。カミナシはゆっくりとだが着実に、SaaSという形で様々な道具を提供し、変化を促してきた。
しかし一方で、諸岡はこう感じてもいた。真にカミナシに求められていることは単に現場の帳票を電子化することだけではない。現場の作業を
“つまらなくて、辛いもの”
から、“エキサイティングで、やりがいがあるもの”
に変える事こそが、カミナシのやるべきことだ、と。

「IT化、DX推進というと、すぐにAIだIoTだとおっしゃる方が多いですが、それはあくまでも手段の話です。何のためにそういう技術を使うのか?これが本来は重要なはずです。Mr.Gembaというサービスは、2030年までにノンデスクワーカーの働き方を一変させる。そして、彼らの人生を変えるサービスになる。それを目指しています」

諸岡の、営業に来たとは思えない熱っぽい口調に、野口はポカンとした。次の瞬間、破顔した。いつかの中尾の顔と、目の前の諸岡の顔が重なって見えた。

「まず一歩目にやるべきは、現場でデジタル化に取り組む人たちを増やすことです。根本から働き方を変えるという理想を目指すにしても、今の状態だと話になりません。現状を変えたくないという人たちが多すぎます」

野口には、本当に自分が相対するべき相手、取り組むべき課題が見えた気がした。

「ありがとうございます。お考えはよく分かりました。私だけの一存では決められませんが、社内で働きかけてみます」

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